陶芸家 安藤日出武さんの代表作
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陶歴
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2017 | 中部経済新聞社より 新刊マイウェイ「未完のままに」が出版される |
2016 | 旭日双光章受章 東海テレビ文化賞受賞 |
2013 | 岐阜県文化功労者顕彰 |
2011 | 岐阜県教育文化功労者表彰 |
2003 | 岐阜県重要無形文化財保持者(黄瀬戸)に認定される |
2002 | 岐阜新聞大賞 文化賞受賞 |
1998 | 美濃陶芸庄六賞茶碗展「古美濃茶碗」大賞受賞 多治見市無形文化財保持者に認定される |
1997 | NHK衛星放送「やきもの探訪 炎で染める」が放送される |
1993 | 美濃陶芸永年保存作品に「古美濃大壷」が指定される |
1992 | 多治見市文化芸術功労賞表彰 |
1990 | 第8回幸兵衛賞受賞 陶器作り「やってみたいな こんなしごと」シリーズ13巻目にあかね書房より 児童向けの本 出版される |
1987 | N饗主席フルート奏者、小出信也氏と穴窯にてコンサートを開く NHK夏期特集「楽を響け、炎を燃えよ」で放送される |
1975 | 第1回中日国際陶芸展初入選 以後数回入選 |
1974 | 日本工芸会正会員に認定 |
1973 | 第11回朝日陶芸展 奨励賞受賞 |
1971 | 第1回日本陶芸展初入選 以後数回入選 |
1970 | 第8回朝日陶芸展 知事賞受賞 日本万国博覧会生活産業館 志野大皿出展 |
1964 | 第11回日本伝統工芸展初入選 以後数回入選 |
1963 | 第1回朝日陶芸展初入選 以後数回入選 |
作家インタビュー
陶芸家 安藤日出武さんの歩み
1.加藤唐九朗先生との出会いー桃山陶へ
わしが窯元の三代目になるんやけど、一代目も二代目も市之倉の小さな盃とか小皿とか焼いとったんやわの。磁器のものを。わしの代になってからも、こんなことをやっとったらいかんやないか、と思ったんやわの。
そう思っとった矢先に、ひょっこり陶芸界の巨匠、加藤唐九郎先生がわしのところに来たんじゃの。
なんで唐九郎先生が、わしの所のようなこんな所へおいでになったなぁと思った時に、うちの親父が、焼き物を勉強するよりも、書をたしなんだり漢詩をつくったりというような、そういう文人的なところがあったんよ。
そこへ唐九郎先生が、市之倉の窯焼きの親父に面白い男がおるということでおうでた。そこでうちの親父とすっかり仲良くなって、ほんで一杯飲んで、そういうことをすくようにならせたんでの。そういうときに、わしに「焼き物をやるなら、美濃で生まれた焼き物をやらないかんぞ」と言われた。
美濃で生まれた焼き物というのは、やっぱり桃山時代に作られた志野であり、黄瀬戸であり、織部であるわけやの。そういうものをやらなあかんぞ、と言われたんやわの。それからわしは焼き物に対して、唐九郎さんの一言で「そうか」と。そうしたら美濃の焼き物を勉強せなあかんと思って、それからわしの焼き物人生が始まるんやわの。
お父様からは焼き物に関する薫陶は全く得ていなかったんですね。
全くやわの。磁器の白いものやでの。土を買い、釉薬を買い、ごく自然なことをやっとったんやわの。なんにも自分で研究することもなかったわけやし、そこへ唐九郎先生がおいでくださったことで、それから始まったんやわの。それがきっかけになったんやわ。
それからというと、リュックサックを背負って山を歩いて、いわゆる美濃桃山陶の発祥の地一帯を、土を探して窯跡を堀って、そういうことで勉強してきた。。。これが20歳のころ。
2.独自の技法を探し続けるー険しい道のり
そこから、独自の技法を見出すまでの道のりというのはやっぱり険しいものだったんでしょうか。
そりゃもう、険しいなんてもんやないわの!親父の登り窯を手伝ったり、石炭窯をやってみたり、そしてガスの窯をやってみたり、そういう中で育ってきたわけやけれども、わしがこれはいかんと思った事は、やっぱりガスの窯でやっとっては、限界があるということを感じた。やっぱり志野や織部や黄瀬戸をやる上においては、桃山の人がいかに難儀をして電気もない何にも無いところで、とにかく素晴らしい焼き物が生まれたわけやの。そういう心意気とかそういう環境とかをわしは知りたかったんやの。そこで穴窯という桃山時代の窯を築いて、こうしてやってきた。。。
当時のやり方そのまんまでやらな、原点に返って。桃山人のそういう気持とか仕事とか追求せな、新しいものはできんのやないかということやわの。とにかく難儀をするということ、ここから始めたわけやわの。
そこから50年。いまだに本当に難しいということを痛切に感じている。わしらの仕事とは、完成というものがないでの。死ぬまで勉強やでの。どんだけでも挑戦というものはある。
ありがとうございました。何事も難儀をすることが大事なんですね。私たちはついそれを忘れてしまいがちですね。
使われた美しさを味わう
使ってよくなるものやないとあかん。志野や織部が何百年も経って光り輝いておるのは、使われた美しさがある、それが一番大切なことやね。わしらのものが使って悪くなるようなものなら全部淘汰されるわけよ。そういうものを目指しているわけやでの。みなさんにどんどん使ってもらって、そうして焼き物の良さそういうものを味わってもらいたい。
焼き物づくりでのこだわりを教えて下さい。
心が伝わってくる焼き物づくり
わしにしても、工にしても、やっぱし誠心誠意、本物の焼き物を目指して、こころを込めて作らなあかん、それが一番大事なことやと思う。
作品を見て作品の心が伝わってくるようなもの、そういうものをつくらないかん!自分で土も探し出す、釉薬も自分で作る、それも全て自然のもので勝負していかないかん。みな殆どの人が買い土でやっとるわけやが、これではやっぱり独自性がないわけよ。うちは全部うちで作ってしまう。自然のものを利用して。。。それが大事だということ。自然のものを自然の環境で焼き上げるということが大事。ほんで穴窯というのがものすごい大事やわの。
うつわのおかげで美味しいなぁと言われるうつわ作り
仙太郎窯としての焼き物つくり
みなさんに使ってもらうには、そんなに高いものはいかんわの。そこでうちは仙太郎窯でいろんなものを手がけてみなさんに提供しとるわけやの。それでも心がこもってないといかんわけよ。全部手作りでの。
みなさんの毎日の生活の中で、喜んで使ってもらえるというのが、大事なこと。
うつわのおかげで美味しいなぁ、そういううつわを作らないかん。
現代に合った焼き物づくり
黄瀬戸が生まれた窯は、400年経ってもものすごい評価を得ている。でも桃山時代だけではあかん。やっぱし現代に合ったそういうものを生み出さないかん。桃山の時代を基礎にするけど、桃山にはないものを生み出さないかん。